2、大阪は雨だった……
大阪に着くと、そこは小雨がふりしきっていた。その天気のせいなのか、言いようのない胸騒ぎがした船橋は、その不安を打ち消すように大げさに呟いた。
「あら、雨ですね。Qさん」
「ほんとだね、東京はさわやかに晴れていたのにね」
その口ぶりからは、Qもなんとはなしにこれから訪れるかもしれない目に見えない不安を感じているようでもあった。Qも何かを振り払うように、少し大きめの声で話しを続けた。
「まあ私は常に折りたたみ傘が入ってるのでね、このカバンに。船橋さん、傘は?」
「Qさん、さすがですねえ! 僕はもちろん持ってないです。ちょっとお店に寄っていいですか? 仕方ないので買いますね」
「ああ、そうしましょう。駅からホテルまで、少し歩かないといけないみたいだから」
発毛クリニックの担当者達との待ち合わせ場所は、新大阪駅徒歩三~四分のホテルの会議室だった。とはいえ、小雨でも傘無しでは無理がある降り方だったので、船橋は駅のコンビニに寄って折りたたみ傘を購入した。
「しかし、僕はなんだかしょっちゅう折りたたみ傘を買っている感じがするなあ」
「船橋さんは仕事柄、普段はあまり外に出ないからだよね。でも本に書いてあったけど、傘を持ち歩かず、急な雨の度に傘を買う人はお金が貯まらないんだってよ」
「ああ! それ、当たってますよ、Qさん。僕が身をもって証明しちゃってますもの、こうやって」
二人は冗談を言いながら、小雨の中の一本道をホテルに向かった。
ホテルに到着すると発毛クリニックの担当者は二人して船橋達を出迎えてくれた。今回の窓口となったQと若い方の担当者が軽く会釈を交わすと同時に、上司とみられるかなりずんぐりした方が割って入り、我先にと関西弁(?)で挨拶を始めた。
「こんにちわ。よく来てくれはりました。ホンマ、遠くまでおおきに、いや、ありがとうございますぅ。この度、新しい企画を担当させていただきます太田(おおた)と言いますよって、よろしゅうお願い致しますう」
挨拶されたからには、Qも仕方なく上司の方に向かってまずは挨拶をした。内心は「たったの二人だけか。会議と言うからもっと大勢かと思っていたのに」と少し拍子抜けしていたQだった。
「はじめまして。Qです。我々二人を呼んだからには、何か大変な企画なんじゃないかと心配しているんですよ」
アラフィフの船橋より、十歳ほど年上のQが冗談っぽく牽制球を投げかけた。
「いやいや、そんなたいそうなもんじゃおまへんですわ」
Qのとなりで二人の挨拶をみながら船橋は、この太田という担当者を素知らぬふりをしながら観察した。
「年は俺と同じくらいか? まだ四十代後半かもしれない。このメタボ、かなり健康的にまずい感じだな。シャツのボタンが吹っ飛びそうなお腹、血圧はもちろん高いだろう。既に糖尿の可能性もあるな。一重の細い目が笑顔を作るとさらに線のように細くなるのは、でっぷりした頬の脂肪がそうさせているのかもしれない。ジャケットは着ているもののノータイだ。シャツの襟からはみだしそうな二重アゴをみると、あの何とかデラックスと言うタレントを思い出す。きっと睡眠時無呼吸症候群の可能性だってあるな。そもそも会議なのに、二人ともなぜノータイ? クールビズ的な感じか? 発毛クリニックの社員だけあってさすがに、頭はハゲではないが、真ん中分けの髪になぜ、ワックスなんかつけている? 少しくせっ毛だからだろうか? その外見にワックスは似合わないだろう。まるで髪を洗っていない時のペタッとした感じと区別がつかないじゃないか……」
このように瞬時に人を観察する眼力は、船橋の職業病だった。普段の診療では、特に初対面の時こそ、その人となりをしっかり見極めないと、とても治療などできたものではないからだ。それが歯科医師としての習性だった。船橋の観察はさらに続いた。
「しかし何だろう? このネチネチしたしゃべり方は? 一見、大阪弁のようだが、どこか違うようでもあり……。いずれにせよ本人は親しみを込めているのだろうが、完全に裏目に出ている。一言で言えば、馴れ馴れしい。さらにその風貌と相まって、何と言ったらいいだろうか? そう、清潔感に欠けるのだ。俺にはどうみても――失礼ながら――ガマガエルにしか見えない。まるで、でっぷりした生々しいガマガエルが『ゲロゲーロ』と鳴いているようにしか見えないではないか……」
そんな判断を瞬時に下した船橋は、Qに続いて挨拶をした。
「はじめまして。船橋です」
「いやあ、こちらが有名な船橋さんでっか? ホンマ、いつもお世話になっておりますぅ、太田ですぅ」
「いやいや有名だなんて」
「何言うてはります。我が社で船橋さんを知らん者はおりませんですわ」
豪快に笑う太田を尻目に、船橋は内心吐き捨てた。何言ってんだ、このお調子者は? だったら俺のSNSの「いいね」やブログの登録者数がもっと沢山あってもいいだろう、と思いながら船橋は、とりあえず先程から気になって仕方ない質問を投げかけた。
「太田さんは、やはり大阪出身なんですか?」
「はあ、今は大阪ですねんけど、ガキの頃から兵庫、岐阜、愛媛、京都、奈良そして大阪と転々としましたんや。結局、関西すべてが地元って所ですわ」
どうりで変な関西弁だと、合点がいった船橋。太田のその豪快に笑う姿は、相変わらずとても初対面とは思えない図々しさが漂っていた。満面の笑顔を作っているのだが、それが余計にうさんくさい感じを醸し出している。太田の名刺をみると「企画部編成部長」との肩書きだったが、そのたいそうな肩書きにのわりには、うすっぺらいC調のノリ、馴れ馴れしい物言いは、余計に船橋に警戒心を与えるのだった。「どうみても、うさんくさいガマオヤジだ」、これが船橋が太田に下した結論だった。
これは横にいるQも同じだったに違いない。すかさず笑顔で冗談交じりの牽制球、第二球を投じて相手に探りを入れた。
「我々二人は、ちょっとお高くなっておりますので、本日はそれに見合うだけの成果が出せるといいのですが……」
「あらら、Qさん。こりゃ、かなわんですなあ。お手柔らかにお願いしますよって」
相変わらず豪快な笑い声でQの牽制球をかわす太田を尻目に、船橋はもう一人の若い方の担当者の顔をマジマジと眺めた。どこかでみたような顔だったからだ。
「お隣の方は? たしか……」
太田のやや後ろに構えかまえていた、その若い担当者は太田とは対照的にかなりキャシャに見える。メガネの奥の、そのひ弱そうな目が必死に笑顔を作っていた。目が合った船橋は、ハッと思い出して大きな声を上げた。
「あれ、たしか小関(こせき)ちゃんだよね。発毛日本一コンテストの時にあった」
「は、はい、小関です。お久しぶりです! おぼえていてくださって光栄です」
「だってコンテストの後、わざわざウチの歯科医院まで取材に来たんだから、忘れないよ。ねえ~」
「ホントあの時はお世話になりました。もうかれこれ七年くらい経ちますでしょうか?」
この小関の方は、関東出身らしくあまり関西弁は出てこない。もっとも会社が大阪にあるのだから普段は関西弁をしゃべっているのかもしれない。小関と船橋も発毛日本一コンテストの時からの知り合いだった。その後、船橋の歯科医院まで、わざわざ取材に来たこともあった。その時はもちろんインタビュアー兼企画発案者としてのQも一緒だった。いずれにしても久しぶりの再会に懐かしくもあり、知った顔だったので船橋の緊張が一気にほぐれたことは間違いなかった。もちろん、たびたび組んで仕事をしているQと小関が、改めて親しげな挨拶をしたのは言うまでもなかった。
――挨拶もそこそこに、早速、発毛クリニック企画部の二人、そして船橋とQのあわせて四人は会議室のテーブルに着いた。テーブルの上には申し訳程度のお茶が並んでいる。大人四人にしては少し広めの会議室だったが、太田一人で厚かましさは人の何倍もあるこのシチュエーションでは、会議室のこの広々とした開放感だけが、せめてもの救いだった。船橋達の気を多少なりとも紛らしてくれたことは確かだった。
そんな状況を知ってか知らずか、上司の太田が先ほどまでとは違い、さも深刻そうな表情で口を開いた。
「実は我々、企画部で新しいチャレンジをしようと思ってますねん。まず、コレ、みてもらえまっか」
もったいぶった粘着質な語り口で、船橋とQに手渡したのはペーパーの企画書だった。その企画書の表紙を目にした船橋とQは、しばし言葉をなくしたまま見つめ合った。そんなことはお構いなしに、ガマオヤジは隣の小関に指示を出した。
「おまはん、お二人さんに、ようけ説明してやってや」
「は、はい。では早速ですが、今回の企画をご説明させていただきます。画面はお手元の企画書と同じものになっております」
小関は企画書と同じものをタブレットにうつし出し、説明を始めた。
〈つづく〉
*この物語はフィクションです。実在のあらゆるものとは一切関係ありません。
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本日も最後までお付き合い、誠にありがとうございました。
ダイエットと発毛の鹿石八千代でした……